【開催レポート】曽我朋代Birthdayディナーショー「女神の宴」で起きた奇跡!〜歌の呪縛からの解放〜
2024年4月19日、ホテル椿山荘東京にて「曽我朋代Birthdayディナーショーinホテル椿山荘東京〜女神の宴・あふれる涙を花束にして〜」を開催しました! 平日の忙しい中、遠方からも駆けつけてくださった皆様、本当にありがとうございました。
まだ言葉にならないほどの感動でいっぱいですが、当日のディナーショーの様子をレポートします!
歌への挑戦:長年の「呪縛」を打ち破る
ディナーショー前半の1時間は、私の歌のショーでした。全6曲、全身全霊を込めて歌い上げました。
実は私、昔から歌が大好きなんですが、声は上ずるし、リズムは取れないし、音痴なんです(笑)。歌詞やメロディもデタラメに覚えていることも多く、学生時代以来、人前で歌うことはありませんでした(俳優時代のオーディションは別ですが、もちろん全て惨敗でした!)。友達の結婚披露宴で歌ってほしいと頼まれたことも一度もありません。
それでも歌が好きで、一人で家やカラオケでずっと歌っていました。上手い下手は別として、私は「表現すること自体」が元々好きなんだと思います。ただ、好きだからこそ、表現することへの恐怖や強い抵抗が常にあり、自分自身を縛りつけていました。今の仕事で言葉で伝える表現はかなりできるようになりましたが、一番大好きな歌での表現はできずにいたんです。
だからこそ今回、「ディナーショーを開催してみんなの前で歌を披露する」という自分にとって大きな挑戦をしようと決意しました。
ディナーショーまでの道のり:4ヶ月間の壮絶な特訓
歌の知識も経験も全くなかった私は、ディナーショー開催の4ヶ月前に歌の先生のもとに「駆け込み」ました。そこから4ヶ月間、先生のご指導のもと、歌の特訓、歌を歌うための体づくり、音楽の基礎を学びました。
「最初から歌が上手かったんでしょ?」と言われることもありますが、本当に最初はひどいものでした。1時間のレッスンも立って歌っているのがやっとで、声は出ない、音は上ずる、リズムは取れない、滑舌は悪い、音痴…と散々でした。歌の先生に「ディナーショーに間に合わなかったら最悪会場キャンセルできる?」と聞かれるくらい、本当に危機的な状況だったんです(笑)。
でも、絶対に開催したかったので、この4ヶ月間はガチで取り組みました!
まずは、歌を歌える体づくりから。先生に教えてもらったエクササイズや呼吸法、ストレッチに加え、下半身が弱いので走り込みもしました。仕事の合間を縫ってはカラオケに駆け込み、夜中の2時まで歌い込んだりもしました(ご近所迷惑になるので、家ではなかなか声を出せず…)。マイマイクと、本番で頭が真っ白にならないようにマイ照明まで持参し、この4ヶ月でカラオケ代がいくらになったか分かりません(笑)。
試練と支え:満身創痍で迎えた本番
歌の練習と並行して、当時開催していた「受け取り直しメソッド講座」の準備や運営、会場の細かな準備、宣伝、衣装選びなど、やることが山積みでした。キャパの狭い私は、途中でいっぱいいっぱいになり、「疲れた!もうやだ!」と夫の前で大泣きしたり、地団駄を踏んだりもしました(笑)。
さらに、持病の腰痛が悪化して歩くのが困難になったり、生まれつきの脱臼癖で左腕と左足の関節が外れかけたり、歌いすぎて喉がガラガラになったり…と、体にもかなりのガタがきていました。それでも、整体の先生の力を借りながら、なんとか本番まで持ちこたえようと進み続けました。
「終わった後にぶっ倒れてもいいから、やれるだけのことはやろう。後のことは考えず、とにかく今に集中しよう」そう決めていました。実際、終わった後は力尽きてダウンし、謎の奇病まで発症して病院に行きましたが、宣言通り1週間は人間として使い物になりませんでしたね(笑)。歌の先生には「歌に対する恐ろしい気迫と執念を感じる」と言われました(笑)。そう、まさに執念でした。
表現からの逃避、そして解放へ
私は表現に関しては、いつも中途半端でやり切ったことがありませんでした。15歳から舞台を始め、演劇を学び、20歳から25歳まで芸能の世界に身を置いたものの、全身全霊で本気で取り組んだかと問われると「イエス」とは言いきれませんでした。結果を出そうというコミットメントもなかったため、努力もできなかったんです。
起業して今の仕事を始めてからは、自分なりに頑張ってきた、積み重ねてこれたと思えるようになったものの、ふと昔を思い出すと「私は頑張りきれなかった」「私は表現から逃げた」という後ろめたさが、やめた後もずっと心の底にありました。最近まで定期的に、何の準備もなしに舞台の幕が上がり、自分が出なければいけないという悪夢を見ていたほどです。
「昔は昔のこと、今自分の居場所を自分で作れたんだからそれでいいじゃないか」という気持ちもありましたが、昔の頑張りきれなかった自分、好きな表現から逃げた自分が、いつまでも自分の中で成仏できずにいるのを感じていました。
「とにかく、そいつを成仏させなければ次のステップに進めない」「そろそろ可哀想だからこの呪縛から解放させてあげたい」という思いがありました。だからこそ、今自分ができる力を全て出してやり切ると、今回のディナーショーは決意して取り組んだのです。
想定外のアクシデントと奇跡
本番前日、いつもなら緊張して3時間ほどしか眠れませんが、今回は睡眠不足で乗り切れるものではないと、準備を前倒しで完璧に済ませ、地元の温泉で験担ぎをして椿山荘へ向かいました。美容室で髪をセットし、メイクをして、ドレスに着替えていざリハーサルへ。
順調に進むと思いきや、ここで思わぬアクシデントが発生しました! なんと、私が歌う位置から自分の歌声がほとんど聞こえないのです。マイクは入っているのに、ピアノの音でかき消されてしまう。客席からは聞こえるものの、自分の声の返しが全く聞こえない状態で歌うしかないと判明したのです。
歌は通常、自分の声の返しを聞いて調整しながら歌うものなので、これは本当に盲点でした。音響設備がどうなっているかまで気が回っていなかったのです。
しかし、リハーサルで焦って血の気が引いた私に、歌の先生がこう声をかけてくれました。
「朋代さん! 聞こえなくても大丈夫よ! 聞こえなくても体感だけで歌えるような訓練を今までしてきているから。そして今ちゃんと歌えていたからこのまま行って大丈夫!!」
この言葉で、私はハッとしました。「そっか!私、いつの間にかそんなすごい訓練をしていたんだ!」と。そこでスッと緊張が解け、冷静になることができました。先生の指導がどれほど素晴らしいものだったかを改めて実感した瞬間でした。
右隣でサポートしてくださったソプラノ歌手の丸山夏季先生、そして可憐なピアニストの堀之内千紘さん。お二人の指導とサポートがなければ、今回のディナーショーは絶対に実現不可能でした。本当に感謝してもしきれません。
魂の共鳴、そして呪縛からの解放
歌の本番はもちろん緊張しましたが、最後まで落ち着いて6曲を歌い切ることができました。もはや上手く歌うとかは頭になく、とにかく今までやってきたこと全てを今この瞬間に出し切ることだけに集中しました。
正直、歌自体がどうだったかは自分でも分かりませんが(なんせ自分の位置からは聞こえないので…笑)、歌っている時にその場にいる皆さんと魂が共鳴しているのを感じ、ずっと魂が震えていました。皆さんの応援と愛の温かいエネルギーを全身で感じました。
ディナーショーが終わってから1週間経ちましたが、まだ魂が震えていて、言葉にできないほどの感謝と感動が全身に残っています。本当に奇跡のような、ありがたい経験でした。
そして歌い終わった後、全身の力が抜け、一気にエネルギーが解放された感覚がありました。それと同時に、痛かった腰と脱臼しかけていた左腕と左の股関節が「カチッ」と音を立ててはまったんです! 嘘みたいに痛くなくなりました。やはりメンタルから来ていたんですね。
これが、私の「歌の呪縛、表現の呪縛」が解除された瞬間でした。
私一人だけでは絶対にできなかったことです。歌の夏季先生、伴奏の千紘さんはもちろん、会場に駆けつけてくれた全ての方々、応援し続けてくれた方々、そしてそばで支えサポートしてくれた夫や妹、椿山荘という高エネルギーの場の力、そしてスタッフの皆さん…。全ての力が重なり合って、あの瞬間に奇跡が起き、長年私を縛っていた呪縛が解除され、昔の自分が成仏したのを感じました。
本当にありがたくて涙が止まりません。勇気を出して開催して本当によかったです。
そして、私だけでなく、あの場にいてくださった方、このブログを読んでくださっている方にも何かを感じてもらい、次に進むきっかけになったら嬉しいです。ちなみに、ディナーショーに来てくださった方で、私の歌を聞いたら体の調子が良くなったとご報告をいただきました!もしかしたら、除霊効果や浄化効果もあるのかもしれませんね(笑)。
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